日記「花ひらく人生」
2008年09月18日
賢さと、想像力と、勇気と。
中秋の名月をはさんだ連休は
PCもファックスもTVも、
デジカメも手放して
空気と水の美味しい里山で
過ごしておりました。
車窓から黄金色の稲穂を
うっとり眺めておりますと
仲間内で声が上がります。
「あの稲を刈った後の切り株を
ざくざくと踏みしめると、
すごく楽しいんですよ!」
「そうそう、靴裏の感触がなんともいえない!
学校帰りに、よく遊んでいました」
子供時代を思い出したのでしょう、
とても楽しそうな表情で盛り上がる様子に
都会育ちの香園はちょっぴりジェラシーを感じてしまいます。
「まぁ、だからといってどうってことはない話ですけれど・・・」
いえいえ、決してそんなことはありません!!
刈りとられた稲穂が少し乾いたときの感触、香り、色。
小さな稲が夏の日差しや風雨に耐えながら背を伸ばしていく姿。
穂先に輝く露の煌き、風に鳴るサワサワという音。
こうした風景を直接に体験し、心と身体と頭に刻んでいるのと、
全く知らないで育ったのとでは、大人になってからの感性やものの考え方が
ずいぶん違ってくるのではないでしょうか。
悲しいかな、後者代表の香園は「想像」として表層をイメージするばかりです。
たとえば。いま問題の「事故米」。
「お米」と聞いて、田んぼの稲穂や農家の人たちを思い浮かべる人と
スーパーで袋に入っているお米の姿しか思い浮かばない人とでは
問題の捉え方も大きく違ってくるはずです。
お米が育ち収穫されるまでの時間。そこに注がれた労力、汗や思い。
それを命の糧として暮している人、お米で命をつなぐ人間の存在。
そうした生命のエネルギーの重さを感じ、理解していたら、
いったいこのような事件が起きたでしょうか?
損得を最優先して、食物を、人間の生命を、株価や為替レートを扱うように、
いえ、それよりもっと粗末な配慮で取引する政府や企業のあり方に憤りを覚えます。
けれど、同時に、そんな指導者や経営者を生み出してしまった背景には、
わたしたちのライフスタイルや価値観も大きく関与しているのではないでしょうか?
もっと美味しくて、新鮮で、安全で、安くて、珍しくて、太らなくて、栄養があって・・・
どんどんと膨らむ欲求を他者におしつけてばかりで、
自分たちは何一つ努力しようとしない「消費者」の立場に安住している
そのことへの猛烈な反省を自身にも向けなくてはいけないと思うのです。
消費者=被害者、そんな意識を捨てて、問題の根本を見つめてみなくてはと思うのです。
もっともっと賢くなって、もっともっと低く、遠く、高く、思いを広げて、
勇気をもって生活を変えていく力を育てなくては、と思うのです。