日記「花ひらく人生」

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2008年12月26日

<報告>ワラクワークショップ第16回

DSC03117.JPG冬至の日曜日に開催された雛の会、八力の会。

「武道とは何か」「何のための武道であるのか」といったお話を通して
日本古来の腰と腹の文化について学び、
腹と腰を練り鍛える「八力」を稽古する貴重な時間を過ごしました。

「雛の会」では腹と腰を要とする日本古来の歩き方を稽古しました。
 1:重心を落とし、足裏で呼吸するように。
 2:腹に力を入れ、腰をいれる。
 3:前後左右上下の常に真ん中にある。
以上を留意点として、目を閉じて歩いてみました。
足裏をセンサーのように意識しながら、
重心を低くして恐る恐る歩を進めましたが、これがむずかしい。
前から押されても、後ろから引かれても、ぐらつくことなく
常に自分の中心にあることを心がける。
なるほど、「腹のすわった」ゆるぎない心身のあり方でないと、と実感いたしました。

前田先生のお話の一部を以下にまとめてみました。

~・~・~・~・~・~・~・~・~
武道の「道」とは神様に向かう道をさす。
合気道の創始者、植芝盛平師をはじめとした武道家たちは、
そのときどきの大本のスピリチュアルリーダーと出会い、
「三千世界の立替え立直し」という大きな志にうたれ、
それまで培ってきた技を大義に捧げる道を選んだ。
その志を感じて淡々と集まってくるものが稽古人である。

稽古は、神とひとつになる祭式であり、礼儀をもって静かに行われる。
腹で考え、腹から言葉を発した時代の日本では、腹をひとつにする者たちが
黙々と稽古を行い、静かに一弾となって集団行動をとることができた。
集団の中心となるべきリーダーは自ずと決まり、みなが自然にそれに従った。

しかし、明治になって英国式の軍隊が導入され、号令とともに行われる訓練が始まった。
合理主義、平等主義が生まれ、代わりに階級による支配が行われるようになった。
腰と腹が失われ、目に見えない秩序がなくなると
本来上に立つものが下になり、下のものが上に立つという状況が生まれた。

心は脳にある、と専門家が語るのを聞いたが、
はたしてどうだろうか?
「気が上がる」というように上にいくほど心の状態は悪くなる。
「ハラのすわった人物」というのは最高のほめ言葉だと思う。
「ハラで納得できない」ことには従ってはならない。

頭で知識を得る「学び」も大切だが、それはあくまで
外からの情報が内側にある情報を引き出すスイッチとなるからである。
大切な情報、大宇宙の真実はすべて小宇宙である自分の内側にある。
稽古によって自分の心の状態を澄み切った良いものにし、
宇宙とひとつになれば、自ずと進む道がわかってくる。

~・~・~・~・~・~・~・~
日本が「腹」で考える文化であったことは
海外の文化人や宗教家が注目し、多くの書物でも触れられています。
しかし、生活様式も考え方もすっかり西洋式になった現代、
それを実践する場はないに等しいといってよいでしょう。
純粋な型としてそれを伝え、稽古できるのが武道和良久である。
そのことを改めて実感しました。

さて、八力の会では、中級者に向け「八剱」という木棒を用いた稽古も始まりました。
八力によって腰と腹を練り、次の八剱ではイキ(水火)の力を鍛えていきます。
現在、初級8名、中級5名の認定者が誕生していますが、
来年からの稽古のますますの進展が楽しみです。

次回は1月18日(日)三田の港勤労福祉会館での開催です。
詳細はコチラをご覧ください。

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