日記「花ひらく人生」

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2009年02月15日

<報告>ワラク・ワークショップ第18回

%E3%83%95%E3%83%AB%EF%BC%93.JPG先週の日曜日に開催されたワラク・ワークショップ。
お稽古に際しての礼の仕方や、稽古心得など、
お話の内容も雰囲気も本格的なお稽古に近いものになって
参加者の皆さまも眼差しもいっそう真剣みを帯びてきました。

~・~・~・

ふたつにひとつ、どちらの道に進むべきかの選択に迷ったとき
「あなたにとって楽しい道を選べばよい」と説く人がいるが、
それは精神的に高いレベルに達した人にのみ
相応しいアドバイスである。
何が楽しいかは人それぞれで、
静寂な世界を愛する千早振る心をもった人ならともかく、
金儲け主義の人が「楽しい道」をつき進んでしまったら、世の中大変なことになる。

静寂で簡素な美しさを味わう「本当の楽しさ」を知るようになると
お互いを鼓舞し合うような素晴らしい出会いが自然と生まれてくる。
今の生活に満足しながらも妥協することなく、
より素晴らしい世界を築き上げていくことを固く、秘かに心に思っている人たち。
そういう人たちが本当の平和主義者であって「○○反対!」などと
声高に叫んだりせずに、お互いの力量を事前によく察知し、
無駄な争いを避け、和解を結ぶことができる。
本来こうした方法を「平法」といい「兵法」というのは間違った表現です。

いっぽう、平和主義といってもストイックな「行者」のようなのも考え物で、
動物が可哀想だからと肉も魚もけっして食べない人がいるが、
多少なりとも霊界のことを学べば、それは正しい考えではないとわかる。
さまざまな食物を通して五感を豊かにし、五感を通して愛を受け取ることができる。
それを拒絶すると、無機質で温かみの無い人になってしまう。

気の力を売り物にする人もこうしたタイプには多いが、
これが見える、何ができるとひとたび自慢したとたん霊的な力は必ず消えてしまうものです。
わたしもこのような席で霊界の話をしたときは、いつも
「ごめんなさい」と神様にお詫びをしているのです。
あくまで自分が通り道になって言葉を送っているのだという
感覚を忘れないように、傲慢にならないように自戒しています。

本当の気の力(水火の力)をもつ人は、見た目にも壮健である。
寛容で人に説教をしたりしない。
悟った、解脱したと公言する人に解脱した人はまずいないと覚えておくとよいでしょう。

今の世の中、人と人を競わせ、闘わせようとする気が蔓延し、
心の平静を保つことがとてもむずかしくなっています。
被害者になるより、加害者になることの恐ろしさをよく自覚してほしい。
そうならぬよう日々の鍛錬を欠かさず、中心がぶれないための技をもつことが不可欠です。
コツコツとお稽古を続けていくと平静な心を保つことの大切さを学ぶことができるのです。

「八力の会」も純粋なお稽古に近づいてきましたが、
こうした型稽古というものは、堅苦しいという言葉通りで、
動きやものの考え方まで規制され、これまで入ったことのないワクに
我をはめこんでいかなくてはならない。苦しいものです。

しかし、型というものは無駄を排除し尽し最後に残されたもの、
何千年もの歴史の中で磨き上げられた先人たちの極意の集大成で、
いわば、山の頂上に上る最上の道なのです。

八力という型に宇宙の活動力が集約されています。
スウアオエイという音の中に自身の心と身体をはめこんで、
ものの考え方を型のなかから引き出していけば、
道理にかなったやりかたで物事が進められるようになる。
稽古の苦しさもしばらく辛抱すれば、やがて心地よくなってきます。
そこまで辛抱できるかどうかが問われるわけなのです。

せっかく足を運んで頂いて「良い話を聞けてよかった」で終わって欲しくない。
実技を身に着けて頂きたい。
そして螺旋波動をもった人たちが世に広がり、増えていってほしい。
どうぞ、みなさんもそのひとりとして、
ここで学んだことを生活に活かし、人に伝えていってください。

~・~・~・

今回、「八力の会」では八力だけでなく布留の型を全員でお稽古しました。
また、初級認定審査会では通常「八力」が審査対象のところ、
「八剱をやってみましょう」との先生のお言葉。
4名の申請者の方々は初めて木剱を手にしたにもかかわらず
落ち着いて型を行い、会場の拍手を受けていました。

次回からの「八力の会」がいっそう楽しみになってまいりました。
(写真は布留の型を行う前田比良聖先生)


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